株式会社福岡銀行
柳川晃さん(仮名・企画職) 33歳
「東京でのキャリアが福岡で活かせる」その喜びを胸に、父が待つ故郷へUターン。
大手コンサルティングファームのシニアアソシエイトとして第一線で活躍していた柳川さん。将来のキャリアを考える中で、いつも心にあったのは故郷・福岡で病床に伏す父のこと。父のそばに帰りたいけれど、これまでのキャリアをリセットしたくない。そんな思いを持ちながら、「まずは相談を」と参加したキャリア相談会をきっかけに、柳川さんのUターンは現実味を増すことになった。
現在は福岡銀行に転職し、同社が推進する「デジタル戦略」の一翼を担う柳川さんに、転職活動の経緯やUターン後の変化を伺った。
※本記事の内容は、2019年11月取材時点の情報に基づき構成しています。
- 過去の
転職回数 - 1回
- 活動期間
- エントリーから内定まで85日間
転職前
- 業種
- コンサルティングファーム
- 職種
- コンサルタント
- 業務内容
- 事務オペレーション改革やチャネル戦略策定、コミュニケーションツールの導入など
転職後
- 業種
- 銀行
- 職種
- 企画職
- 業務内容
- デジタル領域における各種サービス/商品の企画、イノベーション推進など
東京で築いたキャリアを福岡で活かせるのか。情報収集に苦戦する中で見つけた「相談会」。
現在のお仕事はどんな内容ですか?
福岡銀行デジタル戦略部(当時)のオープンイノベーション推進グループに所属し、新たなサービスや商品の企画に携わっています。当行ではアジャイル開発やビッグデータ利用などの体制構築を積極的に進めており、テクノロジーによって従来の銀行ビジネスを根本的に変革することを目指しています。
入社前のご経歴を教えてください。
新卒で生命保険会社に入社し、5年弱、営業支援や海外の事業調査などに携わりました。その後大手コンサルティングファームに転職し、保険会社に対する事務オペレーション改革やチャネル戦略策定、コミュニケーションツールの導入などの支援を経験しました。
大手コンサルでは保険業界の経験を活かすことができましたし、シニアアソシエイトに昇進してからは高次元なUX/CXの実現やBPOといったプロジェクトも経験し、さらに知識やスキルに深みが増したと感じています。
転職のきっかけは?
大きく2つあります。まず1つは、コンサルタントとして「支援する立場」ではなく、「当事者」としてプロジェクトを推進したいという思いが強くなっていたことです。デジタル化を推進するクライアントが多かったことから、事業会社でそうしたプロジェクトに携わることができれば、さらに自身の能力を伸ばせるのではと考えました。
もう1つは、福岡で暮らす父が病を抱えていたことです。あまり状態がよくないことは聞いていましたので、私は一人っ子ということもあり、サポートも含めて近くにいたいという思いが強くなっていました。妻は東京出身ですが、結婚当初から「いつかは福岡に帰りたい」と話していたので、妻も背中を押してくれ、Uターンを決意するに至りました。
転職活動はどのように進めましたか?
大手を中心に紹介会社にいくつか登録しました。ありがたいことに様々な案件を紹介してもらいましたが、ほとんどが東京勤務の案件でした。少し行き詰まりを感じていたときに、福岡地場の紹介会社を集中的に探し、リージョナルキャリア福岡を見つけました。
さっそく東京相談会への参加を申し込み、コンサルタントの原田さんとお会いしました。かねてから興味を持っていた福岡銀行について尋ねると、ポジションサーチが可能とのことでしたので、「ぜひ!」とお願いしました。それまで福岡の情報を得ることに苦戦していたので、“紹介会社によってここまで情報格差があるのか”と驚いたのをよく覚えています。
最初は『まずは相談してみよう』ぐらいの気持ちでしたが、結果的に福岡銀行で私にマッチするポジションが見つかり、転職活動が一気に加速することになりました。
今の会社に決めたポイントは?
「金融イノベーション」と言われるデジタライゼーションが進むなか、福岡銀行が先進的な取り組みを行っていたことも知っていたので、シンプルに『おもしろそう!』と感じました。リージョナルキャリア福岡で弊社の事業戦略部部長のインタビュー記事が紹介されており、そこで「『ふくぎん、おもしろいやん』と感じてもらいたい」というフレーズがあるのですが、まさにそれにハマったと言えるかもしれません(笑)。
同部長や役員との面接では、福岡をはじめ九州の多くの企業や人が顧客であること、銀行の垣根を超えてサービスを提供しようとしていることを肌で感じ、多くの人の役に立てそうだと感じたことも決め手になりました。もともと学生の頃は農学を学び、研究者の道を目指したこともあったのですが、これも『人の役に立ちたい』という思いからでした。道は違いますが、経験してきたことを活かして、故郷に貢献できるのであれば、チャレンジする価値があると考え、入社を決めました。
Uターンしたことで得られた、かけがえのない時間。あのとき決意して、本当に良かった。
転職していかがでしたか?
入社から1ヶ月が経ちましたが、あっという間でしたね。これまでの経験が活かせると考えてはいましたが、聞き慣れない銀行用語を理解するのに苦労しました。 ただ、周囲はとても手厚くサポートしてくれているので、“置いてけぼり”という感じはまったくないですね。私と同じように銀行以外からの中途入社メンバーも多く、一体感を大切にしながら、互いにうまくカバーし合っている風土を感じます。
早くからさまざまな仕事を任せてもらっていますし、異業界のスペシャリストたちとも席を並べて仕事ができるので、とても刺激的な環境です。さらにスピードを上げて、早く自分の仕事をカタチにしていけるよう頑張っていきたいですね。
生活面での変化はいかがですか?
東京を離れた人はよく言いますが、満員電車に揺られることがなくなったので、やはり通勤は圧倒的に楽になりました。また現在は社宅に住んでいて、妻も含めて良い関係を築かせてもらっています。
地元だということもありますが、“日本一のコンパクトシティ”とも言われる福岡での暮らしにおいて不自由はないですね。15年近く福岡を離れていましたが、今ではすっかり博多弁に戻りましたし、やはり自分は福岡の人間なんだなと実感しています。
あと、Uターンしてから数週間後に父が他界しました。「思っていたよりも早かった」というのが正直なところですが、もうすぐ2歳になる私の娘を含め、家族で過ごした時間は本当にかけがえのないものでした。あのときUターンを決意して良かったと、心から思っています。
転職を考えている人にアドバイスをお願いします。
東京は産業や大手企業が集中していることから、個人のキャリア形成においてのメリットは大きいと思います。ただ『ずっと東京にいる意味はあるのか』と自問したときに、私は明確な答えを出せませんでした。『地元に帰りたい』とか『○○で暮らしたい』という思いがあるのなら、その実現に向けて行動する方が「東京にいる意味」を考えるよりも将来をイメージしやすいのではと思います。
また私の場合は『キャリアを活かしたい』という思いが強く、またそれが叶えられそうだという情報を得られたことで、一層Uターンする決意が固くなったように思います。先ほど「紹介会社における情報格差」についてお話しましたが、やはり、その地域についての情報をしっかり持っている紹介会社を選ぶということが大切な第一歩だと感じました。