九電みらいエナジー株式会社
上村典洋さん(仮名・事業開発) 33歳
Uターン転職後、地元での転職を経て今、胸に誓うこと。
九州大学大学院を卒業後、東京電力に就職した上村さん。東日本大震災を経験したことで地元九州への思いを強くし、Uターン転職。公務員として安定した日々を過ごしていたものの、「本当に自分がしたかったことは何なのか」と自問し始めたことを機に、今回の転職に至った。再出発を決意した上村さんが出会ったのは、経験が存分に活かせる九州電力グループ企業。「仕事が楽しすぎて帰るのが遅くなってしまう」というほど、充実した日々を過ごす上村さんに転職体験談を伺った。(※本記事の内容は、2018年11月取材時点の情報に基づき構成しています)
- 転職回数
- 2回
- 転職期間
- エントリーから内定まで35日間
転職前
- 業種
- (前々職)電力事業→(前職)公務員
- 職種
- 電気関連職
- 業務内容
- (前々職)火力発電所の維持管理、建設業務→(前職)公共下水道の維持管理・運営及び建設業務
転職後
- 業種
- 電力事業
- 職種
- 事業開発
- 業務内容
- 再生可能エネルギー発電における新規案件の事業開発
本当に自分にあった仕事は何なのか。悩んだ末に出会った企業とは。
現在のお仕事はどんな内容ですか?
風力発電やバイオマス発電といった再生可能エネルギーに関する新規事業開発に携わっています。新卒で入社した東京電力で発電事業には携わっていましたが、まだまだ知識も経験も足りないので、先輩に同行させてもらったりしながら日々勉強中です。先輩たちはこの事業分野の先進地域である欧州に行って新しい技術や事例を勉強されたりしているので、早く自分もそういったことで役立てるように頑張っています。
入社前のご経歴、今回の転職のきっかけを教えてください。
大学院卒業後、東京電力に入社しました。このときの志望動機は「大きな会社に入りたい」でした(笑)。 今思うと、そんな安易な理由で入社してしまい申し訳なく思っています。東京電力にいるときに、東日本大震災があって、やはり地元九州で働きたいと強く思うようになりました。福岡にUターンして、選んだのが公務員です。地元に帰るのなら安定したところが良いと思ったのと、当時は他に選択肢を探してもそんなになかったように思います。でも、いざ地元に帰って安定した職場で過ごす時間が長くなると、「本当に自分がしたかったことは何なのか」と日々考えるようになりました。「自分がしたいことは、40歳、50歳を過ぎるともうチャレンジするのは難しいかもしれない」そう考えると居ても立ってもいられなくなり、次に出会えた企業で一生頑張ることを誓い、転職活動をすることにしました。
今の会社に決めた理由は?
これまでの様々な経験が活かせることに加えて、これからますます世の中のニーズが高まる再生可能エネルギーの事業に取り組んでいる企業だったことです。実は転職活動を始めたときに希望していたのは現在とは別の企業だったのですが、コンサルタントの植田さんに紹介されて企業について調べているうちに、興味が圧倒的に強くなっていきました。
くすぶっているぐらいならチャレンジしたい。その気持ちがあったからこそ得られた充実の日々。
転職して良かったと思うことは?
なんと言っても毎日を充実感いっぱいで過ごせていることです。本当にいい企業と巡り合うことができました。今は自分自身も満足していますし、家族をしっかり守っていくという意味でも、自信を持って毎日を迎えることができています。
困っていることや課題はありますか?
思った以上に英語を使う機会があることですね。これまでに空いた時間を使って勉強しておけばよかったと思っています。今はその遅れを取り戻すべく、毎日一生懸命勉強しています。仕事をしながらの勉強は楽ではありませんが、勉強すればしただけ、これが仕事の役に立つという感覚があるので、まったく苦になりませんね。
生活面の変化はありましたか?
転職前と同じ福岡での勤務なので特別な変化はないかもしれませんが、仕事が楽しすぎて、帰りが遅くなってしまうことが増えました。「最近、帰ってくるの遅いね」と妻にも言われてしまい、土日に全力で穴埋めをしています(笑)。 ただ、これだけは言えることですが、同じ地元で暮らすことが出来ていたとしても、仕事が充実しているのとしていないのとでは、プライベートの充実も大きく違うということです。
転職を考えている人にアドバイスをお願いします。
転職によって勤める会社を変えたり、生活スタイルを変えたりすることは精神的にも肉体的にも負担がかかることだと思います。でも、いろいろ悩んで動かないよりも、もしやりたいことや実現したい何かがあるのなら絶対に動いた方がいいと思います。なかなか自分にあった選択肢が見つかりにくいのが転職活動だと思いますが、一生懸命に動いたからこそ、植田さんのような協力者や、現職のような良い企業と出会えました。もし動いていなかったら、今もまだ、くすぶったままだったと思いますね。